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山中伸弥 妻 家族 [研究]


山中伸弥 妻 家族



山中伸弥教授の妻と家族について


山中伸弥教授と妻との記者会見はとてもが印象的でした。


お二人とも謙虚でとても仲が良さそうでした。




山中伸弥教授の奥さんの名前は知佳さん。


山中知佳さんは皮膚科の医者とのことです。

どこかの医院にお勤めなのでしょうか。

勤め先がわかったら、また大混雑になるのではないでしょうか。


また、山中伸弥教授の二人のお嬢さんも医大生ということなので、

山中家は医者一家なんですね。すごい一家ですね。



山中教授と妻の知佳さんは中学時代からの知り合い。

そして交際が始まったのは高校からのようです。


中学、高校と大阪教育大学附属に通ったようですね。


この頃からお互いに惹かれあい支えあってこられたなんて

本当に素敵なことですね。


でも、こんな知佳さんも自分の思いを貫こうとしたときがあったようです。


それは、長女を日本の学校に入学させたいと願ったときで、

その時、知佳さんは二人の子供をつれて日本に帰国したのです。


当時山中教授はアメリカのグラッドストーン研究所でES細胞の

研究に打ち込んでいたのですが、さすがに妻子に去られ

うつ病気味になったそうです。


休日など普通の父親と変わらないと言う山中教授なので

知佳さんと子供に去られたショックは相当だったのでしょう。



会見では「泣きたくなる辞めたくなることの連続だった20年の

研究生活を家族がいつも笑顔で支えてくれた」

と家族への感謝を口にした山中教授。


きっと知佳さんと家族が家族思いの山中伸弥教授の研究を

支えたのですね。


これからも家族で支え合って、いい家族でいてほしいですね。





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山中伸弥 家族 子供 [研究]

山中伸弥 家族 子供


山中伸弥教授がノーベル賞を受賞して一躍脚光を浴びるのに伴って
 ご家族は子供さんはという方に関心が向くのはごく当然のことですよね。


山中教授の奥さんは?子供さんは?
 そんなことについて調べてみました。


山中伸弥教授の奥さんは知佳さん。昨日の京都大学での会見の映像で
 一躍有名になられましたよね。


奥さん同伴での会見は長年支えてくれてありがとうという
 山中教授の感謝の気持ちを表したものだろうと思いました。


知佳さんは山中教授とは中学高校を通じての同級生だったようです。
 中学からのお友達が一生の伴侶になるって
 世間にもいくらもいらっしゃるのでしょうが
 そうでない私からすればとてもうらやましい限りです。


大学は教授が神戸大学、知佳さんは関西医大と別々でしたが
 共にお医者さんの道を目指しての進学でした。


結婚は20歳のときと言いますから学生同士の結婚だったのですね。


きっとこの頃からお互いに支え合って、医学の道を究められるような
 ライフスタイルが出来上がっていったのでしょう!


ですが、知佳さんは皮膚科のお医者さんとして研究に没頭する
 教授を陰で支えたわけですが、ご自身の仕事との両立の上で
 それは並大抵のことではなかったと思われます。


それを成し遂げた知佳さんが最大の功労者といってもよいかもしれません。
 

子供さんのほうですが娘さんが二人で共に医大生とのことです。
 一家全員医学の道というのもすごいことですね。


今回ノーベル賞受賞者を父に持ったということでお子さん方の気持ちは
 どうなんでしょうか。周りからはいっそう注目されることでしょう。


父親が実現化に向けて更に研究を進めていく中で子供さんのほうも
 より真剣に医学の道を究めていくということになるのでしょうか。


一家で日本の医学を引っ張っていってくれたら、
 こんなにうれしいことはありません。



暗い事件が頻発している日本で久しぶりに明るいニュースでした。



山中伸弥教授、ノーベル賞の受賞、本当におめでとうございました。


そして、ご家族、子供さんの活躍を期待しております。




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山中伸弥 うつ病 [研究]

山中伸弥 うつ病



山中伸弥京都大学教授がノーベル賞生理学・医学賞に決定しました。


山中伸弥教授のノーベル賞受賞の裏には過去にうつ病を乗り越えた事実があります。


こうしたことを克服されてのノーベル賞、本当におめでとうございます



奥さん、お母さんの控えめな喜びのコメントが印象的でした。



山中伸弥教授のノーベル賞受賞理由はips細胞の研究によるもので 再生医療に大きく道を開いたことが評価されました。


イギリスのジョン・ガードン博士との同時受賞で、この道の第一人者
ガードン博士との同時受賞が一番うれしいと
山中教授は語っておられます。


さて、山中伸弥教授のうつ病なのですが
いつのことなのでしょうか。


山中教授は元々整形外科医を目指していました。


中学・高校と柔道に打ち込み、足の指や鼻などを10回以上骨折した
経験から山中教授は神戸大学医学部卒業後はスポーツ外傷の専門医
になろうとしたようです。


ところが研修医として勤務した国立大阪病院(現・国立病院機構大阪医療センター)
では手術が苦手で、他の医者が30分で終える手術に2時間も
かかったりしたのだそうです。


そのときの患者さんは同級生の人で、「ゴメンな」と謝る
教授の声をこの同級生は麻酔はかかっていても声だけは聞こえたので、
「なんのことか?」と思って聞いたそうです。


これはみのもんたのテレビでやっていました。
誠実な山中教授の人間性がよくでていると思います。


で、この頃は「じゃまなか」と呼ばれていたそうです。
「邪魔な山中」ですね。「向いていない」と思ったそうです。


今の颯爽とした山中伸弥教授からは信じられませんね。


このころ、山中伸弥教授は重症のリウマチの女性患者と会われています。


女性の枕元にふっくらした女性の写真を見つけ
「妹さんですか?」と問いかけた答えが
「1、2年前の私です」
というものでした。


その答えにショックを受けた山中教授は重症患者を救いたいと 研究者の道を選ばれたようです


進むべき道を見つけた山中教授は研究の基礎を学ぶために
病院を退職。大阪市立大学大学院に入学。基礎研究に魅力を
感じた山中教授は実験に没頭したようです。


そして、大学院終了後更にアメリカのグラッドストーン
研究所へ留学。
ここでは、研究者として成功するには長期的な目標をもって
ひたむきに努力することが必要と教えられ、マウスES細胞の
研究に打ち込んでいます。


1993年に帰国するのですが、大学では引き続きマウスES細胞の
研究をしていたそうです。ところがその当時の薬理学教室では、
すぐに薬につながる研究をしている人ばかり。


基礎研究としてネズミの世話ばかりしている自分に山中教授は
自信をなくしたんだそうです。そしてうつ病状態になって、
朝も起きれなくなり、研究をやめるかどうするかという決断を
迫られるところまで切羽詰ったそうです。


それを救ったのがちょうどその頃あった、奈良先端科学技術大学院
大学の公募でたまたま助教授に採用され、今日のノーベル賞へと
つながっていくのです。


しかし、研修医として手術が苦手だったこと、うつ病にかかったこと、
どちらがなくても今日のノーベル賞受賞の山中伸弥教授はなかったと
考えると、人生本当に塞翁が馬というか、挫折は次へのステップだと
感じないわけにはいきません。



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